あめんぼ通信2008

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

傷痍軍人

果樹栽培面積 減少止まらず

ミカン51200ヘクタール(前年より1200ヘクタール減少)
リンゴ41700ヘクタール(前年より400ヘクタール減少)
ブドウ19600ヘクタール(前年より200ヘクタール減少)
茶  48000ヘクタール(前年より200ヘクタール減少)
(農業新聞11月18日)

 原因は3つあると思う。
(1)生産者が高齢化して引退
(2)価格の低迷
(3)新規参入の減少



イノシシ

 農業新聞に、「イノシシ(野生動物)は、居心地がよい場所でも、エサがなければやって来ない」という鉄則を知っておく方がはるかに役に立つと書いてあった。

 しかし、イノシシの好物がわからない。サツマイモは狙われているが、ヤーコンやキクイモ、ニンジンはまだ被害にあっていない。
 池の土手や畦道や果樹の根元を掘り返しているが、ミミズでも探しているのだろうか。ミミズなら、野菜を植えている田んぼの方がはるかに多いと思うが。
 2年前、サツマイモが被害にあってからは、家庭菜園の人は家のすぐそばで作るようになったので、現在、周辺でサツマイモを作っているのは自分だけになった。
 ヤーコンもキクイモも家庭菜園ではほとんど見かけないし、ニンジンは作っていても、面積はごく少し。
 つまり、イノシシの好物がこの周辺にあまりないので、被害がこれくらいですんでいるのかも知れない。

 ダイコンサルハムシという害虫も「アブラナ科野菜」というエサがなければ出て来ないので、1年、アブラナ科野菜を休ませればよいと聞いている。ただし、200メートルほどはぞろぞろと移動するし、川も渡るらしい。
 田んぼや畦の雑草にも「アブラナ科」に属するものがあり、一旦、ダイコンサルハムシが発生すると、防御がなかなか難しいと思う。



センブリ

 胃腸病に効くといわれる「センブリ」という薬草が新聞に出ていた。胃が弱かった叔父は「センブリを取りに来た」といって、近くの山へよく行っていた。たくさん生えていたのだろうと思う。その山一帯は、その後、牧場に切り開かれたので、昔の面影をとどめていないし、山の生態系が変わってしまったので、もうセンブリなど生えていないだろう。

 気になったので薬草カラー図鑑を見て、ネットでも検索したが、今、近くの山でセンブリを見たことがない。図鑑によると、「ゲンノショウコ、ドクダミと並ぶ日本の民間薬のトップスター。二年草で、秋に出た芽が冬を越して花をつける。色は白で、開花するのは秋。雑木林の至るところに生えている」と書いてあった。
 薬用部分・・・全草
 採取時期・・・秋
 10月中下旬が最盛期のようである。来年は少し注意深く近くの山を探してみよう。



シューカツ

 この国の就活(シューカツ)は何か変である。
 学生のシューカツは開始時期が年々早まり、現在大学3年生のシューカツも実質的には始まっている。都内でも大規模なイベントが相次いでおり、年内は全国の主要都市での開催が毎週のように予定される。各企業の会社説明会も、年末にかけて本格化する。

 22年間の勉強の総決算が一流企業に入るためという目的に凝縮される。ほとんどの大学生が、ちょっとでも良い企業に入ることを最終目標としているのだろう。これでは、人生に何のドラマも期待できないと思う。多分、彼らの人生がスタートするのは、その一流企業を3年も経ずに辞めたときから始まるのかも知れない。



傷痍軍人

 11月16日の朝日新聞に「傷痍軍人」の写真が大きく掲載されていた。ボクがその傷痍軍人を始めてみたのは、小学校の遠足の時だった。どこの遠足だったか思い出せない。いつ頃の時期だったかも思い出せない。思い出せるのは、たくさんの石段を登っていたときに、その石段の傍らに、白装束の片手や片足のない20人ほどの人たちが「黙って」座っていたからだった。びっくりした。何か、見てはいけないものを見たような気がした。その時、がやがやとしゃべっていた子供は急に会話をやめ、その場所を通り過ぎるまで緊張感が走ったようだ。
 記憶がかなり鮮明に残っているから、小学校の高学年で、昭和38年頃のことではなかったかと思う。つまり、戦後18年目頃の現実。彼らの年令はすでに40才前後になっていたのだろう。
 戦争未亡人や傷痍軍人に経済的援助がされるようになったのは、いつ頃のことか知らない。昭和38年頃にはまだ経済的援助がなされていなかったのだろうか。
 すでに援助がされていたのだったら、あの白装束のデモンストレーションは、いったい、何に対してだったのだろう。傷痍軍人ではなかったのだろうか。
 この記憶とともに、祖母が発した一言も記憶に残っている。「うちは一人も死ななんだから、1円ももらえんのじゃ」。父を含む3人の息子が全て生きて帰ってきたことを言っている。


あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→
ranking
スポンサーサイト
このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

QRコード

QRコード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。