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あめんぼ通信2008

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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僕はドン・キホーテを乗せて走るだけのロバ

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  池の上の山へシイタケを取りに行った。シイタケがあると、ダイコンやサトイモを炊く時に重宝する。


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 田んぼの空気と山の中の空気は少し違う。DNAが騒ぐ感じ。
 たった50年ほど前まで、今頃の時期になると、集落の人は競争で山に入り、クドや風呂の焚き付け用の落ち葉をかいたり、下刈りをしたりした。まだプロパンガスがない時代だったので、下刈りの細い枝や薪(割り木)で炊いていた。
 クドの火は1000年の昔から、人の心を癒してきた。


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 山から下りる時に、池の土手から写した。


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 大きくなりすぎていたシイタケを一つ鳥小屋に投げ込んだ。瞬間、驚いたニワトリは向こうの隅に逃げたが、少し時間が経過すると、興味をもって近づいてきた。
 多分、明日にはなくなっていると思う。他に食べるエサがある時は、好きな物しか食べないが、腹が減って食べるものがないと、サトイモでも何でも食べる。


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  イタリアンパセリが肥切れしているような気がして液肥を施した。寒いので毛細根が肥料に反応してくれないかもしれないが、小春日和もあるから。
 6月に液肥を施した時に、株間を画像のように破っていたので、そこに施した。
(1)明日は雨らしいので薄めず、原液を少し施した。
(2)不耕起栽培だと青枯病(立枯病)が少ないように思う。イタリアンパセリの前作はスイートバジル。バジルを抜いた後に、黒マルチはそのままで、イタリアンパセリを定植した。
 

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(今日の夕飯)
ダイコンの煮物
キャベツの炒め物・・・タマゴ

 

 朝食の前に新聞にさっと目を通すのが楽しみである。新聞が「ネット」にシェアーを奪われることはないと思う。自分のブログの6~7割は新聞記事を読んでの感想文であり、記事を読んでイメージが浮かんだり、今日はこれを書こうと思ったりする。

 今日のそれは、カネミ油症患者の「矢野トヨコさん」。矢野さんは11月25日の朝日新聞でも「追想」に載っており、10月30日には同じカネミ油症患者の「宿輪敏子さん(カネミ油症五島市の会事務局長)」のオピニオン「被害者の沈黙に甘えるな」が載っていた。
 
 この2人のことを書こうと思いながら、いまいち、言葉が出てこなかったが、今日の朝日新聞の「惜別」に矢野トヨコさんがまた登場していて、今日は指先が動いてくれそうな予感が朝からしていた。
 
 追想と惜別の両方に出る人は少ないのに、この人はすごい。享年86才の女性であるが、夫の忠義さんに「僕はドン・キホーテを乗せて走るだけのロバ」と言わしめたほどの熱情の持ち主。

 
 平穏な生活は、ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入したカネミ油を食べたことで一変した。矢野トヨコさん、46歳の時。

 油症の主因は油中のダイオキシン類と政府も認めているが、かつては少数派だった。独学で化学論文を読み、早くからダイオキシン説を主張。

 文章教室に通って、原稿用紙2千枚(約10冊分に相当)に闘病や運動の体験をつづり、87年、なけなしの200万円で自費出版した。

 10年以上たって坂口厚生労働相や環境団体の目にとまり、政治が動き出す。だが、そのころ、ガンが体をむしばんでいた。

 闘う人生の原点は、若いころ前夫とともに働いた福岡県の炭鉱にある。経営者側による暴力支配に抵抗し、100日続いたストライキを労働組合の婦人部長として支えた。

 ところが落盤事故で前夫を失い、子供4人と路頭に迷った。それを救った前夫の元同僚の忠義さんと再婚。

 妻を支え続けた忠義さんは「僕はドン・キホーテを乗せて走るだけのロバ」と謙遜するが、見事な二人三脚だった。(以上、朝日新聞12月20日)


 矢野トヨコさん語録・・・「戦わなければ、野たれ死にするだけ。何も生まれん。黙っていれば抹殺される」

 夫の忠義さん語録・・・「気合と行動力に付いていくのに必死だった。偉大な先輩でもあり恩師でもあった」

 被害者の一人の語録・・・「多くの人を機関車のように導いてくれた。彼女がいなかったらカネミ油症は風化して消えていた」

 
 カネミ油症事件は自分の記憶にもはっきり残っている。1968年だから15歳(高1)の時。

 米ぬか油が原因らしいが、今でも米ぬか油は出回っているのだろうか。見たことがない。確かに、米ぬかには油が多い。長く袋に入れておくと、袋が油で湿ってくる。

 どこの公害でも、こんなに頑張る人がいるから事件が風化せずに残る。

 朝日新聞の「追想」とか「惜別」には、自分の全く知らなかった人が多く登場し、その生き方のすさまじさが、とても参考になるし、励みにもなる。しかし、大企業の社長など成功者の記事はまず読まない。「惜別」は週に1回、土曜日の新聞に載っている。

 炭鉱は今の「ワーキングプア(働く貧困層)」に連綿とつながっていると思う。まさにそっくりである。労働者はポイ捨て、一つの部品、一つのモノ。

 炭鉱の興隆期だった50年前の労働状況も、現在の派遣労働も全く同じ。矢野さん曰く「戦わなければ、野たれ死にするだけ。何も生まれん。黙っていれば抹殺される」。

 当地から最も近い鉱山は「柵原鉱山」。今年の1月に資料館の見学に行き、鉱山の地下にも入った。
 足がすくみそうだった。まるでモグラ。こんな劣悪な状況下でも働かざるえなかった人が多かったのだろう。北から、夕張炭鉱、石狩炭鉱、南は筑豊炭鉱、三池炭鉱。テレビにしばしば爆発事故が映し出され、泣き叫ぶ家族が大写しされていたが、矢野トヨコさんもその一人だったのだ。

 炭鉱が興隆期だった時代に比べて、今は社会全体の経済が底上げされている。だから余計に、ワーキングプアの現実は悲惨である。一介の労働者(サラリーマン)になるしか、生きる道はほとんどない世の中なのだから、雇用に関する法整備がされないと、生きていけない。


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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